ナチュログ管理画面 海釣り・ソルトウォーター 海釣り・ソルトウォーター 関東 アウトドア&フィッシングナチュラムアウトドア用品お買い得情報
ブログ作成はコチラ
あなたもナチュログでアウトドア生活を綴ってみませんか?
NAVIGATOR



小説集(Free)
QRコード
QRCODE
※カテゴリー別のRSSです
Information
アウトドア用品の
ご購入なら!

アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
オーナーへメッセージ

スポンサーリンク



上記のお知らせは30日以上更新のないブログに表示しています。
記事を更新するとこのお知らせは表示されなくなります
  

Posted by naturum at

2008年11月24日

オオカミにカタルシス

つい先ほど、この本を読了した。
なんという物語だろう。乃南アサという作家は知っていたが、実は読むのは初めてなのだ。手に取った動機は、本作が「直木賞」を受賞した作品だからで、そうでなかったら、この作品と出会っていなかったかもしれない。
「凍える牙」は直木賞受賞作には珍しく(?)、いわゆる本格ミステリーに分類される作品であろうと思う。実際、作品も本格ミステリーの作法に則って進められるし、プロローグでいきなり深夜のファミレスで男が炎上するところから始まるところはミステリーの面目躍如であろう。
だがそれでは終わらない。それで終わっていたら、本作が直木賞を受けることもなかっただろう。

ややネタばれ気味になるが、本作品の一番の読みどころは、オオカミである。
ミステリーゆえの綿密なプロットに、オオカミが組み込まれた作品がかつてあっただろうか。そして、そのオオカミの心情にまで踏み込んだ作品があっただろうか。
オオカミの心情にまで踏み込める作家は、(きっと)多くない。もしかしたら乃南アサにしかできない芸当やもしれぬ。オオカミという「ヒト」ではない動物を、その心情・気持ちまで描き出すというすばらしいドラマツルギーとそこから迫りくるカタルシスにただただ呆然とした思いで読了した。

そして、読み終えて曰く、「なんという物語だろう」だったのである。  続きを読む


Posted by You at 01:31Comments(1)妄想的書評

2008年04月18日

80年代のバブルへの追憶

あの頃、街では前髪を立てたワンレンヘアーをなびかせながら、羽のような扇子をふりかざしてお立ち台で踊っている女が満ち満ちていた。一様にボディ・コンシャスに身を包み、ボディラインをびしっと強調させ、ひとしきり躍った後、長い髪をゴムで結んでラーメンをすすり、その足で外車に乗り夜の街へと溶けてゆく。
そのような時代が確かにあって、そんな頃おれはまだ学生だった、貧乏だった。バブル真っただ中といわれても、貧乏学生はその底辺で這いずり回っている。「自立」したかのように見える女たちは、バブル景気にまさにバブルな金をつかんだ男たちに群がっていた。おれもときに夜の街を徘徊し、せめてそのおこぼれでもと立ち回ってみるものの、残っていたのはトイレでアンパンやってラリった少女、くらいのものだ。  続きを読む


Posted by You at 01:00Comments(0)妄想的書評

2008年04月08日

島田雅彦という媚薬、あるいは劇薬



この3月までの1クールで「あしたの、喜多善男〜世界一不運な男の、奇跡の11日間〜」という連続ドラマが放映されていた。見ていた方もいたかもしれない。
私はもちろん見ていたのだが、このドラマの原作は、島田雅彦の「自由死刑」である。この自由死刑については、現在鋭意読んでいる最中なので、紹介はまた別の機会に譲り、今回は島田雅彦に私がはまるきっかけとなった“無限カノン”三部作を紹介しよう。

そもそも島田雅彦はポストモダンを代表する作家のひとりであり、そこにいる作家たちはいずれも個性を放つ方たちばかりであるが、島田はその中でもひときわ異彩を放っている(気がしている)。そもそもデビュー作のタイトルが『優しいサヨクのための嬉遊曲』なのである。分かる人にはお分かりであろうが、かなり刺激的なタイトルだ。この作品がいきなり芥川賞候補となり、島田は一躍文壇のスターダムに華々しく登場する。残念ながら芥川賞は(そしてなぜか今に至るまで直木賞も)とれなかったが、このデビュー作もすごい。

そうして冒頭で紹介した三部作は、さらにすごい。
第一部にあたる「彗星の住人」では主人公であるカヲルを巡って、その出自を明らかにすべく、その過去が解き明かされてゆく。物語は歴史(史実)とフィクションの狭間をたゆたいながら、盲目の語り部の口を通じて明らかにされてゆく。舞台は長崎、アメリカ、満州……。世界を駆け巡り、スケールは大きいがはかなく切ない恋物語がそこに展開するのである。
狭間、この言葉こそ彗星の住人にぴったりな気がする。時間の狭間、地理的な狭間、文化の狭間、国と国の狭間、つまりは歴史の狭間にもまれ生きたカヲルとその祖父祖母であるピンカートンに蝶々夫人。この魅力ある人たちの生きざまとその裏に隠されたもの。これらが最後の一行に一気に収束するのだ。ゆめゆめこっそり最後のページを途中でめくらぬよう。
第二部は「美しい魂」。これはカヲル自身の恋物語だが、ここで島田はある人物に「君」と呼びかける。衝撃的だった。
おわかりか? 二人称小説というのはめったに出会えるものではない。これを書くには、おそらく相当の力量が要求されるのだ。無論私なぞには手も足も出まい。しかしカヲルの娘に向けて呼びかけられた「君」から始まるこの物語は、第一部の運命の余波を引きずり、破滅的とも思えるカヲルの恋を、力強くしかし優しく描き出している。そうして第一部の最終行で語られた「あること」を第二部では軸として、カヲルの恋が綴られてゆく。
第一部、第二部を通じて、おそらく複数回は泣きたくなるであろう。そのとき「島田雅彦」という媚薬は、それがあまりに甘美でありながらエキセントリックであるがゆえ、また甘い恋でありながら歴史の深遠さをさらけ出しているがゆえ、麻薬のごとき効用を発揮するのである。すっかり島田中毒となった私は、本当に震えそうな禁断症状を抑えるべく、いよいよ第三部に手を伸ばす。
第三部はいわばカヲルの後日談であり、三部作の中では一番短い物語だ。一部、二部を通して語られたセンチメンタリズムは、第三部でこちらまでけだるくなってしまうようなメランコリーとして結晶する。

これら三部作はもちろん一連の物語でありながら、それぞれを独立した物語として読んでも十分楽しめる。個人的には第二部の二人称の語りに完全にやられてしまった感があるが、今思い返してみると一部から三部を通じ、それぞれの物語が一体化して、まるで甘い甘い夢から目覚めたような気分になるのである。  続きを読む


Posted by You at 02:20Comments(0)妄想的書評

2008年03月24日

直木賞の意義についての個人的見解

今年もつい先日、芥川賞と直木賞が発表された。直木賞は今年は桜庭一樹の「私の男」である。一方芥川賞は、川上未映子の「乳と卵」だった。本屋でちら見した限りでは、桜庭の方が重たいなと思ったが作者の比較では、川上の方が個人的にはすごかった(いろんな意味で!)。それにしてもいずれも女流作家だ。候補にはもちろん男性作家も混じっているのだが、さぞかし忸怩たる思いであろう。
単なる一外野的読者である私でさえ、そう感じるのであるから。

ところで直木賞作家のひとりに、石田衣良がいる。世間では名うての恋愛小説作家として認知されている(らしい)。
私も自分で小説(特に恋愛小説)を書くのに、何かのヒントになりはしないかと「1ポンドの悲しみ」という恋愛短編小説集を読んでみた。これは私が書いた小説「メランコリーを眠らせて」(さりげなく宣伝w)の下敷きとして参考にはなった。
しかしいかんせん甘い。甘ったるい。まるで砂糖の塊をかじったかのような読後感。
恋愛小説としてはとても素晴らしいが、個人的には二度と手を出し辛い。
でも石田衣良は直木賞作家なのだ。大衆文芸作品の頂点に立った作家なのである。そんな崇高な作家に対して、この書評はあまりに失礼だから、直木賞を受賞したという「4TEEN フォーティーン」を読んでみた。  続きを読む


Posted by You at 02:48Comments(0)妄想的書評